ヘンリー=ダニエル・キャプトの傑作が、

私が懐中時計に夢中になったのは、クリストファー・リーヴ(Christopher Reeve)、ジェーン・シーモア(Jane Seymour)、そして珍しいハミルトン 951が出演した、1980年のタイムトラベルロマンス映画、『ある日どこかで(原題:Somewhere in Time)』を観劇したのがきっかけだった。劇作家の大学生を演じるリーヴの周りには、おしゃれな女生徒たちが自身の作品の上演を祝って盛り上がり、集まっている。ハミルトンはそんな最初のシーンに登場した。そんな折、白い髪をシニヨンスタイルで留めてギブソンガール風にし、高いレースの襟、そしてショールを羽織った年配の女性が近づいてきて、部屋は静まり返る。彼女はリーヴの手に時計を置き、自分の手へと少し包み込み、“戻ってきて”と伝える。

 カメラは驚愕の表情を浮かべるリーヴに寄ったあと、(クリストファー・リーヴ演じる)スーパーマンの手に落ちる。彼は慎重にハンターケースを開けて時計を見る。ブルーの縁取りが、ポーチに飾られた織物のように華やかな文字盤を包み、またローマ数字同士のあいだを金色の星が刻んでいた。

 これから綴られる長い話を要約すると、数年後、売れっ子となったリーヴ(『Passionate Apathies』『Too Much Spring』などの戯曲をヒットさせた作者)は、催眠術で1912年にタイムスリップする。謎めいた懐中時計を贈る女性は、マキナック島のグランドホテルで休暇を過ごす、華やかな若手女優(シーモア)だった。ここからはネタバレ。ふたりは恋に落ち、彼女はその時計を手に入れる。哀愁漂う風変わりな作品だが、かなりおもしろいし、超悲劇的だ。最後はふたりとも死んでしまう。

 このことから私が学んだのは、懐中時計が必要だということだ。1990年当時、私は5歳だった。たとえ懐中時計が私と同年代の子どもたちのあいだで大流行して(実際はそうではない)、広く出回っていたとしても(これもそうではなかったが)、母はその気まぐれに甘んじることはなかったし、そうすることもなかっただろう。アディダスのトレフォイルパファージャケット、ティンバーランドのブーツ、タキシード(テータム・オニール/Tatum O’Neal がオスカーを受賞したときに着ていたようなもの)、ペニーローファー、ページボーイキャップなど、あの頃とても強烈で、報われない物への物欲が強かったのだ。しかしこの懐中時計には、結婚しろと言われるほどの永続的な愛のような、ずっと変わらない何かがあった。

 それから30年後、ここメイン州ポートランドにある地元の時計店、Swiss Timeの公式ウェブサイト内にある、リペア済み懐中時計のページを見ていたら、ヘンリー=ダニエル・キャプトのクォーターリピーターを見つけた。ジュネーブで製造され、1873年の日付が刻まれた18Kゴールド製ハンターケースにセットされたこの時計は、ポーセリン文字盤とイエローリューズ&ボウ(輪っか)を備えていた。ベースをスライドさせて後ろに引き戻すと、クォーターリピーターがメジロの鳴き声のように明瞭に鳴り響く。それはそれは豪華な個体だった。7500ドル(当時の相場で約80万円)なら私のものになるかもしれない。

 計算してみたところ、148年前に時計製造の中心地であるスイスで製造された可能性があり、そして今でも現役で動くそれが5マイルも離れていない店に置かれていた。しかもそれがひと掴みの豆(値段)で売られていたのだ(誤解のないように言っておくと、これは私個人がクルマなどに投資する可能性のある金額であって、ソファのクッションの隙間に紛れ込んでしまうほどの大きさの豆ではない。でもここでは珍しい時計の話をしている。おわかりいただけただろうか)。

 まだおわかりでないかもしれないが、私はアンティークのスイス製ムーブメントや宝石の数え方など、あのキャプトのリピーターの価値を見極めるのに役立ちそうなことはほとんど何も知らない。私はまったくの初心者だが、好きなものが好きだし、その時計は本当に気に入っていた。その時計は、駅の壁掛け時計のような整然とした雰囲気を、ミニチュアで再現していた。ヒンジが付いたケースバックを開けると、素材的価値がどうであれ、目を見張るような時計製造のタイムカプセルが現れる。その懐中時計は、当時5歳だった私を魅了したような装飾や華やかさはないものの、子どもの頃の私を呼び起こした懐中時計のすべてが表現されていた。

 こうしてヘンリー=ダニエル・キャプトの世界、スイス製懐中時計、そしてミニッツリピーターの世界を巡る私の旅が始まった。

 さあ、その始まりからスタートしよう。

Photo by Joshua Loring

 遡ること1773年4月のこと、ヘンリー=ダニエル・キャプトはスイスジュウ渓谷にあるル・シュニでジャック・サミュエル・キャプト(Jacques Samuel Capt)とスザンヌ・ピゲ(Susanne Piguet)のあいだに生まれる。若い頃にキャプトはジュネーブに渡り、有名なオートマタ製造メーカーであるジャケ・ドローに従事。そこで時計、クロック、オルゴール、そのほか珍しいものなど、その後の彼の仕事の多くを決定づけることになるスキルを学んだ。時系列ははっきりしないが、キャプトは時計職人のゴデマール・フレール(Godemar Frères)、ジャン・フレデリック・レショー(Jean Frédéric Leschot、ドローの養子)、そしてアイザック・ダニエル・ピゲ(Isaac Daniel Piguet、渓谷ではよく使われる名前らしい)と仕事を続け、その妹であるアンリエット・ピゲ(Henriette Piguet)と1796年に結婚した。

 キャプトとアイザック・ピゲは事業を開始し、およそ1802年から1811年まで、ワイルドなオートマタや音楽的に複雑な機構を搭載した時計を専門とした。最終的にピゲは独立し、1811年頃にフィリップ=サミュエル・メイラン(Philippe-Samuel Meylan)と統合してピゲ&メイランとなる。その数年後の1830年、キャプトはオーベール&サンと合流してオーベール&キャプトとなり、そこでジュネーブ初となるクロノグラフ付き時計を製造した。

 キャプトは1837年に亡くなり(一部では1841年に亡くなったという資料もある)、息子のヘンリーJr.(Henry Jr.)が後を継いだ。1855年にオープンしたローヌ通りにある店舗に関する記述や、ロンドンに店舗を持つ唯一のジュネーブウォッチメーカーであることを誇ったことなど、裏取りはできなかったがキャプト社に関する噂をいくつか見つけた。わかったことは、1880年にキャプトの運営がガロパン(Gallopin)に買収され、H. Capt Horloger, Maison Gallopin Successeursとなったことである。ほかの店舗やメーカーに供給された時計は、ムーブメントのどこかに“Henry Capt”と署名されていたか、あるいは単にサインされていないかのどちらかだった。

 そして、そこで足取りは途絶えた。

 さて、私がインターネット上で見つけた情報を、スイス時計に詳しい3人の真の時計職人、修復家にすべて伝えた。そこにあった情報は、矛盾が織り交ぜられた物語で埋め尽くされた、不明瞭なものである。人気がないからかもしれないし、スイスで1930年以前に作られた懐中時計は識別が難しいことで有名だからかもしれない。ジュウ渓谷の生産者たちは皆、誰かのために何かを作っていたようだが、いつ、誰が、誰のために、何を、どのようにしたのかを確認するのはかなり困難だ(またキャプト自身も多くのスイス人時計師と仕事をしていたようだ)。これに加え、懐中時計のケースは、時計とは別の宝石商によって供給されることが多かった。それが私のような怠惰な歴史家や懐中時計の素人愛好家の探求を複雑にしていた(例えば宝石はほんのわずかしかセットされていないのに、それをよりよく見せるために18金のケースを欲しがることがあったりなど)。

 そのため、ヘンリー=ダニエル・キャプトという名前はかなり有名だが、彼自身についてはほとんど知られていないようだった。私が彼について話をした人たちは、キャプトのリピーターを手にしていたのだが、それは偶然のことだった。

 1977年、クロード(Claude)とジル・ギュイヨ(Jill Guyot)のふたりは、メイン州ポートランドにSwiss Timeを設立した。クロードはスイス出身、ジルはコネチカットの出身で、彼は時計職人としての訓練を受け、彼女は父親の時計店で働いていた。25年前、売却を考えていたとある顧客がキャプトのリピーターをSwiss Timeに持ち込んだ。クロードはそのリピーターを入手したあとに亡くなり、そのまま倉庫へと保管された。彼の娘のステファニー(Stephany)は、その希少なモデルの真の価値を認めてくれるスイスへと、父親は持ち帰るつもりだったのではないかと推測している。この時計は、彼女が懐中時計への関心の高まりに気づいた3年前まで保管されていた。ステファニーは時計の修理や再調整だけでなく(彼女の専門は懐中時計だ)、ショップのビジネス面も管理している。彼女の仕事は、6カ月先まで予約が埋まっている。

 Swiss Timeの外には、片側が文字盤、もう片方が複雑なムーブメントの、3フィート(約91cm)もの巨大な金色の懐中時計が、看板の代わりとしてドアの前に吊るされている。これはかつてジルの祖父が所有していたものだ。店舗を訪れた日、砂色のブロンドヘアを後ろでまとめたステファニーが、まるでバーのような照明が付いたU字型の木製ガラスケースのあるショールームで出迎えてくれた。彼女の後ろを追って作業台のひとつまで行くと、彼女が例のリピーターを布の上に置き、技術者のジョン・ミューズ(John Muse)がそのパーツを見せてくれた。彼は三つ又の装飾的なブリッジと繊細なゼンマイを指差しながらその重量とハンターケースを指摘し、私は宝石で飾られたムーブメントを見つめた。私はそのゼンマイの小さな心臓が、鼓動を脈打つのを眺めた。

 ミューズはもっとよく見えるためにとルーペを差し出してくれた。“私は時計の世界に入ったばかりです”と言い、(ルーペの)間違ったほうを目に当てた。

 ミューズは親切にもコメントしなかった。

 彼がバンドのひもを引っ張ると、時計が時刻を告げた。時は2回鳴り、15分は数回鳴る。“だから暗闇でも使えるんだ”と彼は言った。あなたが紳士的な農夫で、夜明けに牛の乳を搾るところを想像してみてほしい(農業についてはほとんど知らないが)。ポケットに手を入れて文字盤を探せば、ウエストコートから時計を離すことなく時刻が鳴る。まさに魔法だ。

 クォーターリピーターは、最も近い1時間の4分の1まで時刻を知らせる。よほど裕福な農家であれば、分単位で音が鳴る(その分とても高価だった)ミニッツリピーターを選んだかもしれない。

 ミューズも私も、100年以上前に手作業で作られたリピーターを目の前に感嘆の声を上げ、一瞬の沈黙が訪れた。ミューズが依頼した全米時計収集者協会(NAWCC)の評価によると、このキャプトムーブメントは1900年代初頭に製造された可能性が高いとのこと。ご存じのようにキャプトはすでにこの世にいないが、この活動はH. Capt Horloger, Maison Gallopin Successeursによって続けられた。ムーブメントに施された派手な細工はすべて、特定の時計職人を示しているように思えたが、実際のところサインがない限り保証はない。

 スイスの有名メゾンの多くは、自社で製造・販売した時計の記録を残している。それが現在では来歴の確認に役立ち、オークションでの価格を吊り上げている。しかしキャプトのものについてはそのような記録はないようだ。“有名人を売り出すことができるのなら、そうするだろう?”とウェールズ南西部にいる時計職人、リチャード・ペレット(Richard Perrett)は言う。彼は数年前、ある顧客のためにキャプトのミニッツリピーターの購入と修復を手伝った。ペレットが作業したリピーターは、ブルガリアから4000ポンド(当時の相場で約60万円)で購入したものだった。それはケース蓋のバネが折れ、“リピーター機構のバネが弱く”、ダストカバーのクリスタルとヒンジが欠けていた。ペレットは可能な限りヤスリがけやクリーニングを施し、オリジナルの模型をもとに代替パーツを3Dプリントした(イーロン・マスクも認めるはずだ)。

ダヴィッド・カンドー DC12 マーヴェリックが登場。

独立時計師ダヴィッド・カンドー(David Candaux)氏が、彫刻的な39.5mmのケースに新しいダブルテンプのムーブメントを搭載した新作を発表した。

ダヴィッド・カンドー(David Candaux)氏は、ほぼすべてのディテールにおいて独自のユニークな創造性にあふれた新作を発表した。これは、彼がムーブメントのアーキテクチャとデザインのアイデアを初めて考案してから10年以上を経て生まれた作品である。DC12 マーヴェリックは、ジュウ渓谷で生まれたこの独立時計師にとって新しいムーブメントであり、ディファレンシャル機構で接続されたダブルテンプを備え、それぞれのエネルギー入力を調整し平均化することで、同期を保っている。

C30と名づけられた新しいムーブメントは、そのほとんどがチタン製の部品とブリッジで構成されている。ドラマチックな曲線を描くケースもまた、サテンとポリッシュ仕上げを施したチタン製で、きわめて着用しやすい直径39.5mmだ。凹状のニッケルシルバー製ダイヤルには、ブルースティールのスモールセコンド針の歯車を収めたディファレンシャルが見え、建築的な高さのあるアプライドインデックスが緩やかな傾斜のホワイトのミニッツトラックを囲んでいる。DC12 マーヴェリックは、カンドー氏を故郷であるスイスの歴史的なウォッチメイキング技術への敬意を示しつつ、ムーブメントのデザインと仕上げにおいて徹底的にモダンな時計デザインである。

ジュネーブ・ウォッチ・デイズで、カンドー氏が今回リリースされる前に本作を我々にプレビューしてくれた際、彼は17年以上も前にダブルテンプムーブメントのデザインを検討し始めたと語った。そして今年6月になってようやく、彼は動作するプロトタイプムーブメントを完成させたばかりなのだ。限られた生産能力のため(2017年にスタートしたカンドー氏の名を冠したブランドは彼、彼の父、そしてパテック フィリップの元時計師を含むわずか3人で構成されている)、彼は年間10本から15本の時計を生産する予定。価格は9万8000スイスフラン(日本円で約1855万円)だ。

カンドー氏によると、DC12 マーヴェリックという名前は意外な海外の人物からインスピレーションを得ているという。その人物とは、テキサス州の弁護士、政治家、牧場主、土地所有者であったサミュエル・A・マーヴェリック(Samuel A. Maverick)だ。“maverick(編注;異端者を意味する)”という言葉は彼に由来しており、このモデル名はカンドー氏自身の独立性と、彼自身のやり方で物事を貫くというこだわりを強調していると語る。

その一例が、いわゆる“マジッククラウン”だ。これはカンドー氏の代表的な発明品のひとつで、以前のモデルでも採用されていたもの。ケース前面下部にぴったりと収まっており、下向きに押すと飛び出し、ムーブメントの巻き上げや時刻調整ができる仕組みだ。もう1度押すとリューズは元の位置に戻る。リューズの上、6時位置の下ではダイヤルに“LE COEUR & L’ESPRIT”(心と精神)と記されている。

ケース自体は、サテン仕上げとポリッシュ仕上げを施したチタン表面が、ドラマチックな曲線と傾斜した楕円形を際立たせている。ラグは彫刻的で長く、先細りになっているが、手首に沿うように内側に曲がっているため着用しやすい。シースルーバックからは、繊細でありながら主張のある、緻密な仕上げを施したチタン製ブリッジを見ることができ、ふたつのブリッジはそれぞれのテンプを対称的な曲線で包み込んでいる。

ニッケルシルバー製のダイヤルは、伝統的なブルースティール製ハンドセットが、シルバーグレインのテクスチャーの施されたダイヤル上で、カンドー氏独自の視認性に優れたデザインを表現している。ダイヤルは、3、6、9の数字が配されたホワイトオパールのアワーハンドトラックに囲まれている。12時位置は、ブルースティールのスモールセコンド針も稼働するオープンなディファレンシャル機構の底部で示されている。段差のついたアプライドのチタンインデックスは、凹状に傾斜したダイヤルの外周ミニッツトラックに劇的な立体感を与えている。

我々の考え
このユニークなムーブメントによって、カンドー氏はダブルテンプを備え、オープンワークを施し、そしてユニークな位置に配置されたディファレンシャル機構を驚くほどコンパクトで着用しやすいチタン製ケースに収め、きわめて読み取りやすいダイヤル構造とデザインを実現した。この時計はモダンな外観と感触を持ち、チタンケースの傾斜した曲線のおかげで、私のように手首が小さな人にもかなりしっくりとくる。

見えるムーブメントは眺める喜びを与えてくれると同時に、フィリップ・デュフォーのデュアリティなど、過去にダブルテンプを探求したジュウ渓谷の偉大な時計師たちに敬意を表している。このダヴィッド・カンドーによる並外れてモダンで比類なき新作は、彼らから間違いなくインスピレーションを受けているのだ。

基本情報
ブランド: ダヴィッド・カンドー(David Candaux)
モデル名: DC12 マーヴェリック(DC12 Maverik)

直径: 39.5mm
厚さ: 11.7mm
ケース素材: チタン
文字盤色: グレイン仕上げを施したシルバーとホワイトオパール
インデックス: 様々な高さで盛り上げられている、チタン製アプライド
夜光: なし
防水性能: 50m
ストラップ/ブレスレット: 手作りラバーストラップ、メタル&ベルクロクラスプ付き

ムーブメント情報
キャリバー: C30
機能: 時・分表示、12時位置にスモールセコンド、ディファレンシャル機構付きダブルテンプ
直径: 29.5mm
厚さ: 6.9mm
パワーリザーブ: 58時間
巻き上げ方式: 手巻き
振動数: 2万1600振動/時(3Hz)
石数: 45
クロノメーター認定: なし

価格&発売時期
価格: 9万8000スイスフラン(日本円で約1855万円)
発売時期: 最初のモデルは11月から納品開始
限定: なし、だが年間10本〜15本の限定生産