ジェイ・Z(Jay-Z)は、現代のポップカルチャーの頂点に立つ存在である。

彼はアーティスト、プロデューサー、起業家として多くのキャリアを積み上げてきた。もはや音楽を制作したりスーパーボウルのハーフタイムショーをプロデュースしたりする必要がないのだが、彼はとにかくなんでもやっているのだ。要は彼の一挙手一投足すべてが、波紋を巻き起こす可能性があるということである。それは時計コレクトも含めてだ。

 彼は常に、静かになにかを披露する力を持っていることを理解している。彼は1990年代後半にプラチナの時計を身につけていて、現在はディープな時計好きが好むマニア向けアイテムにまで手を広げている。彼の好みは現在のポップカルチャーを反映するというよりも、彼自身のハイエンドな嗜好を象徴するものとなっている。ファンにとってジェイ・Zの時計をウォッチスポッティングするということは、彼という人物や好み、そして彼がより大きな世界でどのように自身を見つめているのかを、理解しようとする方法となった。

 だから今年のグラミー賞でパテックのグランドマスター・チャイムをつけていたとき、我々は注目したのだ。そしてアカデミー賞の翌日、ビヨンセと開いたアフターパーティの写真が公開され始めた。ロック・ネイション(Roc Nation)の上級副社長であり、ジェイ・Zの友人で写真家でもあるレニー・サンティアゴ(Lenny S)が、スマートフォンで撮影した2枚の写真を見て欲しい。これは時計業界やファンページで、本人がパテック フィリップの希少なヴィンテージのRef.2499を着用している姿の写真であり、瞬く間に拡散された。

Jay Z wearing a Patek 2499 at Gold Party
オスカー後のゴールドパーティにて、1980年製のパテック フィリップ Ref.2499を着用するジェイ・Z。Photo courtesy Alex Todd.

Jay Z wearing a Patek 2499 at Gold Party
とてもしっかりとクローズアップした写真だ。Photo courtesy Alex Todd.

 1980年代に作られたファクトリーメイドのチェーンリンクブレスレットを備えた、信じられないほど複雑で珍しいこの時計がジェイの手首に巻かれているのを見られるというのは非常に大きな出来事だった。同僚にこの時計を試着したことがあるかどうか聞いてみたが、誰も身につけた記憶はなかった。大物コレクターは金庫を開けて見せびらかすことを嫌がるため、今まで誰も見たことがなくても不思議ではない。

 私はその写真をInstagramで共有し、それでこの件は終わりかと思った。数分後、ふと見ると、あるプライベートの時計コレクターであり、世界でも有数のパテックとAPのコレクションを築いていることを知ることになった元ディーラーから、ふたつのWhatsAppメッセージが表示されていた。彼は以前、自分のコレクションについて話をしてほしいという、私の依頼を断っていた。それでも我々は連絡を取り合っていた。

「こんにちは、マーク。元気に過ごしているだろうか」

 あまりにもタイミングがよすぎた。そして、素晴らしいストーリーがあるという予感が確信したと同時に、ジェイ・Zがなぜこのようなアイコニックな時計のオーナーになったのか、その真相を探るべく、特に人に話したがらないであろうことを承知で調査を開始したのだ。

 こうしてジェイ・Zは、史上最も希少なヴィンテージのパテック フィリップを手に入れることになったのである。

なぜこの時計が問題なのか
パテック フィリップのRef.2499は、多くのコレクターから史上最高の腕時計といわれているモデルだ。

 パテック フィリップは1950年から1985年のあいだ、永久カレンダー(ひと月の長さとうるう年を考慮したカレンダーのことだ)、ムーンフェイズ、クロノグラフを組み合わせたRef.2499を継続して生産し、市場を独占していた。しかしそれは年産10本にも満たなく、計349本と多くは製造されなかった。

The Patek 1518 pink on pink that sold for a record price in 2021.
パテックのRef.1518。2021年に、同リファレンスとしては過去最高の価格である957万ドル(日本円で約10億9750万円)で落札された、別名“ピンク・オン・ピンク”。

 35年間も市場を支配し続けるというのは並大抵のことではない。しかしパテックにとっては目新しい機構ではなかった。1941年から1954年までブランドは、Ref.2499の前身であるRef.1518を生産しているが、その数はわずか281本である。Ref.1518のほうがオリジナルだが、Ref.2499のほうがまだ珍しい存在だったのだ。

アスプレイのサインが入った唯一のパテック フィリップ Ref.2499が、サザビーズで388万ドルで落札される

2018年のオークションで落札された、最も希少なRef.2499の1本を取材している。高価格を記録した個体だが、将来の価格がそれすら吹き飛ばした。ご覧あれ。

「私見ですが、このサイズであったからこそ、パテック フィリップの“マストハブ”である永久カレンダークロノグラフという技術が注ぎ込まれたのだと思います」と、クリスティーズの元時計部門国際責任者であり、パテックに関するあらゆるものの愛好家兼研究者にして、そしてパテック フィリップのヴィンテージおよび中古品を販売するコレクタビリティ(Collectability)の創設者であるジョン・リアドン氏(John Reardon)は言う。「ミッドセンチュリー時代のパテック フィリップにとって、2499のデザインは、永久カレンダー クロノグラフをより大きなケースにするということが自然な流れでした」

 しかし、より現代的で着用しやすい37.5mmというのは、美観、腕の上での物理的なバランス、視認性、着用感に優れるサイズであり、純粋なパテックらしさを残したデザインとも思っている。後のモデルでケース直径が2.5mm大きくなっているが、すべてにおいて取るに足らない。

 1990年代前半になると、多くの人によりRef.2499の駆け込み需要が発生し始めた。リアドン氏と同じくクリスティーズの元時計部長であり、最近までオーデマ ピゲのコンプリケーション部門長だった友人のマイケル・フリードマン(Michael Friedman)氏は、過去に2499を集めていた“開拓”時代について語る。文字盤と金属を多様に組み合わせた極上のピースたちはオークションやプライベートで、また情報通のコレクターや裕福なコレクターのあいだで争奪戦が繰り広げられていたという。

「これはパテック フィリップのコレクターにとって優良株中の優良株です」とリアドン氏は話す。「そして、市場で買うべき優良株がないときはどうなるのか? さらに高額な値段がつくのです。1950年から1985年のあいだに製造された349本のRef.2499のうち、現在まで公になっているのは半分強ほどです」

The Platinum ref. 2499
 最も希少なのは、プラチナケースでできたRef.2499の2本のうちの1本だ。この時計はもともと、パテック フィリップ・ミュージアムに保管される予定だったものである。だがこの時計は何らかの理由でブランドの手を離れてしまい、そして1989年4月にアンティコルムが主催したオークション、“The Art of Patek Philippe”に出品された。パテック創業150周年を記念したそのオークションでは、インフレに合わせて調整されたプラチナ製の2499が約61万5000ドル(日本円で約8485万円)で落札されている。当時としては驚くべき価格だったが、これから迎える2499の狂乱には到底及ばない。

オーデマが昨日言った明日がある
Ref.2499が流行り始めた90年代半ばの頃に、ショーン・“ジェイ・Z”・カーター(Shawn “Jay-Z” Carter)も流行りはじめた。

 1996年、自身のロッカフェラ・レコード(Roc-A-Fella records)レーベルからリリースした『リーズナブル・ダウト(Reasonable Doubt)』というアルバムで、ジェイ・Zは腕時計に目をつけていることを世界に知らしめた。しかし、ジェイ・Zは、世間が持っているものと同じものを所有するだけでは満足しないと知っていた。「想像のとおり、具体的なもので示せ、プラチナロレックスだ、俺たちはリースなんてしない」(Can I Liveの歌詞より)

 みんながスティールやゴールドのロレックスを買っているときに、ジェイ・Zは(不思議なことに)ド派手な時計やモバードについての歌詞の次にリーズナブル・ダウトのトラック、“Can I Live”でより贅沢することについて話していた。

Jay-Z on the cover of WatchTime Magazine
Courtesy WatchTime Magazine.

 実は彼の初期のアルバムには、時計に関する歌詞が12曲ほどある。オーデマ ピゲへの思いは、2001年リリースの『The Blueprint 2: The Gift and the Curse』に収録されていた「Show You How」で、“アリゲーターストラップ付きのオーデマ ピゲ”と叫んだことから本化的に始まったようだ。1999年にロカウェア(Rocawear)を設立し、その2年後にはリーボックとエンドースメントを契約するなど、彼はビジネスマン、起業家として本領を発揮し始めた頃だった。2004年にはデフ・ジャム(Def Jam)レーベルの社長兼CEOにも就任している。

 ジェイ・Zが、時計分野で初めて大きなビジネスを興したのは2006年のこと。ジェイ・Zはオーデマ ピゲと協力して、彼のサインを裏蓋に刻んだ100本限定のロイヤルオーク オフショアを製作した。

 このスペシャルエディションは最後ではない。2011年に『Watch the Throne』でウブロについてラップしたジェイは、その後の2013年に同ブランドとのコラボレーションが実現しており、ブラックセラミックとイエローゴールドの両方で、ショーン・カーター ウブロ クラシック・フュージョンをリリースした。それからビヨンセが、彼の43歳の誕生日に500万ドル(日本円で約4億円)ものダイヤモンドをセットしたウブロをプレゼントしたとも報じられている。

Hublot Sean Carter watch
ショーン・カーター ウブロ クラシック・フュージョン。Courtesy Hublot

 歌詞のリストと時計のリストは延々と続く。

 彼はHODINKEEに何度も登場しては、ラップシーンでは当たり前になった(いまやほぼ着用必須)、ユニークピースである数百万ドルものリシャール・ミルを着用し、そして彼はAPも着用し続けている。サプライズでJLCもあった。そしてもちろん、今もロレックスを愛用している。なかにはフランク・ミュラーがベーシックなデイトジャストを改造して永久カレンダーにした、ユニークなロレックスだったこともある。

 しかし近年、ヒップホップ界のリーダーは、希少でアイコニックなパテック フィリップに引かれているようだ。ジェイは背後から迫ってくるシーンを、彼が好きでつけているものを拾い始めているのを見ると、それは次のステップに進む合図にしかならない気がするのだ。

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 そしてパテック以外にどこを動かせばいいのだろうか? 何しろ、ビヨンセとジェイ・Zは、ティファニーとのパートナーシップを成功させているからだ。ビヨンセは黒人女性として初めてティファニーの象徴である128.54カラットのダイヤモンドをまとい、夫とともに広告に出演している。ティファニーは、パテック フィリップと長年にわたり友好的な関係を築いているブランドだ。その関係を祝して、パテックは最も人気の高い時計であるノーチラス Ref.5711に、ティファニーをテーマ(ティファニーカラーの文字盤)にしてから別れを告げた。そのうちの1本が、フィリップス社のオークションで620万ドル(日本円で約8億1505万円)で落札されている。その8日後に、ジェイ・Zは自分のものを身につけていた。

Jay-Z wearing a Tiffany-dialed Patek.
Credit: Netflix

 またジェイは、最も高価で複雑なパテックのプロダクトモデルである、グランドマスター・チャイム Ref.6300Gをつけているところも目撃されている。2019年のディディ(Diddy)の50歳の誕生日パーティや、妻がグラミー賞の最多ノミネート記録を更新した今年の授賞式など、これまでに何度も着用しているモデルだ。希少なパテックを身につけることは、群衆から自分を引き離して、喧噪のなかにある自身の居場所で落ち着くための方法のように感じられる。

Jay-Z at the Grammys
グラミー賞でのジェイ・Z。Photo credit: Getty Images

 それは言葉を選ばずにいうと、「私は自分が何者か知っているし、他の誰とも似ていない。あなたは私になりたいかもしれないけどなれない。私の時計でさえ、それを示している」ということだ。

問題の2499
プラチナ2499と同じ1989年のオークションにて、永久カレンダークロノグラフなど、いくつかのパテックの興味深いユニークピースがあった。なかでもムーブメント番号869,392、ケース番号2,779,153を持つ、Ref.2499/101Jが際立っていたもののひとつだ。

 この時計はサファイアクリスタルを採用しており、4つのシリーズのうち4番目のリファレンスに位置づけられる。また43年前の1980年4月25日に、最初のオーナーに売却されている。しかし末尾に“101”と記載があることで、35年間の生産期間中に、ケースにブレスレットを組み込んだ状態で工場を出た、4本以下のRef.2499のうちの1本という、特別な特徴を与えている。

The Art of Patek catalogue
“The Art of Patek”のカタログにて、2499と同様のブレスレットのRef.3448、“パデローン”が掲載されている。Photo by Tony Traina.

 ブレスレットのヴィンテージパテックは、今でこそ多くのコレクターから評価されるようになっているが、当時はもっと需要が少なかったのだ。通常、ユニークピースには高いプレミア値がつくものだが、ゴールドを編み込んだブレスレットという思い切ったデザインは、当時のパテックの控えめなエレガンスさと相容れないと判断され、インフレに合わせて調整された最終価格は20万ドル(日本円で約2760万円)弱に抑えられていたようである。

 2013年にムーブメント番号869,392を持つ個体が、クリスティーズのオークション会場に再び姿を現したとき、この時計の外観はまったく変わってしまっていた。この変更により1週間は、まったく新しいケースが使われただとか、偽造や、シリアルナンバーの重複といったありとあらゆる憶測が飛び交った。しかし、本当のところはどうなのだろうか。

The 2499/101J as it came to Chrstie’s.
2013年にクリスティーズにやってきた2499/101J。Photo courtesy Christie’s.

 真ん中には、前述した超プライベートなコレクターと元ディーラーが座っている。Instagramで“Only_TheRarest”と名乗っているトニー・カヴァック(Tony Kavak)氏は、約10年前に時計ディーラーの仕事を引退し、それから故郷のストックホルムとチューリッヒにあるショップで、新品やヴィンテージといった希少な時計を扱っていたが、その後息子に事業を引き継いでいる。しかしそれ以上に大切なのは、カヴァック氏は何十年にもわたってヴィンテージパテック フィリップ(およびオーデマ ピゲ)の熱心なコレクターだったということだ。

Tony Kavak’s Instagram Feed
トニー・カヴァック氏のInstagramフィード。

「私が初めてRef.2499を買ったのは、2001年の33歳の時でした」とカヴァック氏は言う。「今まで購入した時計のなかでも高価な部類に入りますが、非常にクラシカルなモデルでした。私はすぐに恋に落ちました。手首にもしっくりきたのです。しかし2499の歴史について読み進めると、この時計だけではなく、パテックのウォッチメイキングの時代にもすっかり魅了されてしまったのです」

 しかしそのオークションに関してカヴァック氏は注目されることを望まなかった。実は観察力のあるパテックファンが、アフターゴールドパーティのジェイ・Zの写真に早々に気づき、そしてカヴァック氏のコレクションを思い出してピースを組み合わせてから、Instagramに投稿したようである。その人たちはジェイ・Zのファンアカウントやジェイ・Zの友人らと並んで、先週からしょっちゅうカヴァック氏をタグ付けして投稿していた。秘密はすでに明らかになっていたのだ。

 また、これまでインタビューに応じたことのないカヴァック氏は、この希少な2499/101Jがジェイ・Zの手にわたった経緯について多くを語ろうとはしなかった。だが注意深く検討し、さらに慎重に言葉を選びながら、ストーリーと時計との歴史のギャップを埋めていくことに快く応じてくれたのである。カヴァック氏はジェイ・Zと彼のプライバシーに配慮して、ジェイ・Zとの時間や時計の入手経路についてほんのわずかな情報しか語らず、もちろん価格の詳細については一切触れなかった。

 しかし彼がシェアした内容は、ジェイ・Z、そして彼のおかげで、これまで以上にヴィンテージのパテック フィリップに注目し始める可能性がある瞬間だと示唆している。

2013年、2499/101Jが再び市場に現れたとき、落札者は1989年当時の価格を下回る22万ドル(日本円で約2150万円、インフレに合わせて調整後)強を支払い、比較的お得に手に入れている。

 ケースとムーブメント番号はアンティコルムのオリジナルと一致したのだが、ロットタイトルには“ラグは後から追加”という追記があったため、入札者のなかには怖気づいた人もいたようである。カヴァック氏の見解では、以前のオーナーはRef.2499を所有することを気に入っていたが、ブレスレットの主張が強すぎると考えていたかもしれないとのことだった。ある時、オーナーは革ベルトで着用できるようにラグを追加するなどしてほしいとパテック フィリップに直接依頼して、通常の時計と同じように、時代に合わせてケースを作り直した。今なら冒涜と言われるようなことだが、この要望は叶えられた。

ジラール・ペルゴ ロレアート グリーンセラミック アストンマーティン エディション 38mmでグリーン。

これはフルセラミック製で、クルマにインスパイアされた時計だ。

時計とクルマへの情熱の融合はなにも目新しいものではない。これらの共通の利益は常に交差している。ロレックスのデイトナであれ、ホイヤーのカレラであれ、さらにはポルシェデザインであれ、すべてそこにあるのだ。このふたつの分野が歴史、クラフトマンシップ、パフォーマンスといったアイデアを融合させる。単独でもストーリーテリングにうってつけだが、一緒になればなおさらいい。

2021年、ジラール・ペルゴとアストンマーティンは婚約を結び、ふたつの歴史あるブランドがさまざまなアイテムでコラボレーションできるようになった。そして今年初め、彼らはモーターヘッドたちのあいだでよく知られるブリティッシュレーシンググリーンでできた特別なロレアート(GPを象徴する一体型スポーツウォッチ)を発表した。

ジラール・ペルゴ ロレアート 38mm グリーンセラミック アストンマーティン エディション
少なくとも現代の背景では、クルマとコラボレーションした時計はやや強引であることが多い。燃料計のように見えるダイヤルやクルマを想起させるようなデザインヒントがあるものは、同じように現代的な自動車デザインを連想させることを意図していると考えておいて欲しい。そんななかアストンとGPは今回のリリースで、はるかにシンプルな方法を採用した。

“破綻していないのであれば直さない”という時計デザインの力強さを理解したうえで、GPのロレアートをベースに42mmと38mmという2サイズの時計をつくるという選択をした。今回は38mmモデルに注目しよう。というのも、それが本当に魅力的な時計で、同じようにサイズ感もいい感じだからだ。それになにより…緑一色なのだ。

ジラール・ペルゴ ロレアート 38mm グリーンセラミック アストンマーティン エディションのリストショット
それこそが、この時計の際立った特徴だ。私にはこれがブリティッシュレーシンググリーンだとは思えないが、この配色を選択した背景には、このグリーンのインスピレーションがあったのだろう。そのポイントをしっかりと強調するためには、ホワイトのストライプの要素が足りないと思う。結局のところ、この時計が優れているのはモダンとクラシックが融合しているというところだ。最も注目すべきモダンな要素は、時計全体、すなわちケースとブレスレットにセラミックを使用していることである。この特殊なセラミックはジルコニウムと金属酸化物から組成されており、サテン仕上げとポリッシュ仕上げの組み合わせが可能だ。

文字盤はケースやブレスレットと同じグリーン。クルマのグリルを連想させる、独特のクロスハッチパターンを施しているが、実機を見ているぶんには気にならない。実際に光が当たると、グリーンの海のなかで欠けていた視覚的な魅力がいっそう増す。時、分、センターセコンド、日付(3時位置)機能を備えており、全体的なダイヤルレイアウトはシンプルだ。12時位置にはアプライドされたGPロゴがあり、6時位置の近くにはLAUREATOとAUTOMATICからなる2行のテキストがある。後者はセリフの多い70年代風の独特なフォントで、新旧モチーフの架け橋となっている。

ジラール・ペルゴ ロレアート 38mm グリーンセラミック アストンマーティン エディション

グリーンに使用されているセラミックは、スティール製の時計よりも7倍の硬度を誇り、傷にも強い。グリーンの時計を裏返すと、アストンマーティンのブランドロゴが施されたシースルーバックが現れる。そのブランドロゴの後ろには、約46時間パワーリザーブを誇る自社製Cal.GP03300が搭載されている(ちなみに42mmバージョンはCal.GP01800を採用しており、パワーリザーブは約54時間)。

ブレスレット一体型のスポーツウォッチの海のなかで、単調さを打破するためにクルマ(のインスピレーション)が必要になることもある。私の手首サイズは6.5インチ(約16.5cm)弱であり、こちらの38mmバージョンに心引かれる。腕にはめてみると、1975年から続くロレアートの歴史が実感できた。当時のフォントや八角形ケースのような華やかさ、さらに特徴的なグリーンセラミックなどの装飾が相まって、“全体は部分の総和に勝る”という考え方に基づいた時計であることを感じさせてくれる。

ジラール・ペルゴ ロレアート 38mm グリーンセラミック アストンマーティン エディションのリストショット
この時計につけられた327万8000円(税込)という値札を見て、パンチが効いていると捉える人もいるだろう。ただ、このジャンルで似たようなスタイルを手掛ける多くのライバルと比較しても、妥当な価格であることは間違いなく、ムーブメントと素材の革新性の両方がそれを裏付けている。この時計が内外に提供しているすべての事象を考えると、私はこのパートナーシップに今後も注目していくことだろう。

ジラール・ペルゴ ロレアート 38mm グリーンセラミック アストンマーティン エディション。直径38mm、厚さ10.27mm、100m防水。グリーンセラミック製ケース&ブレスレット、無反射サファイアクリスタル、クロスハッチパターンのサンレイ仕上げグリーン文字盤、グリーン夜光。Cal.GP03300、時・分・センターセコンド、日付表示、約46時間パワーリザーブ、27石、2万8800振動/時。価格は327万8000円(税込)。

チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトを紹介しよう。

現代における全ツールウォッチに対して私が抱いていた印象を一変させた時計、チューダー ブラックベイ フィフティ-エイトを紹介しよう(重要な補足として、この記事の撮影はBB54が発表される前に行われたものであり、それも私を夢中にさせたものだ)。

正確にはこの時計はスモールサイズではないのだが、私の主張を通すためにこれを“スモール/ミディアム”と呼ぶことにする。直径39mm、厚さ11.9mmというプロフィールに、そのすべてが詰まっている。無駄がなく、しかしこの上なくスポーティであり、現代のツールウォッチの枠組みにおいて驚くほど表現しにくい要素を兼ね備えている。

なぜこの時計が優れた時計として私の目に留まるのか? 聞いて欲しいのだが、私はチューダーのようなモダンなものを賞賛することはおろか、身につけることなど考えたこともなかった時計愛好家であるが、イエローゴールドに軽い優越感を持ちながらもこのツールウォッチの仲間入りを(盲目的に)果たした(この文章で混乱させて申し訳ない。真意を理解して欲しいが、99%の時計ブランドは女性に話しかけるのが下手なのだ)。実際、私が時計の世界に深く足を踏み入れる前に、このブランドをどう思うかと聞かれたら、おそらく“チューダーね。それはいいからロレックスをちょうだい”と嘲笑しただろう。

この時計がリリースされた2018年まで巻き戻すと、当時のダイバーズウォッチはケースサイズが大きくなりがちであったが、BB58はそれに逆行するサイズだった。そしてチューダーの歴史的モデル、Ref.7922 サブマリーナーを踏襲しながらも、現代的な素材と自社製Cal.MT5402を搭載した、ヴィンテージ風ウォッチという一面も持っていた。

BB58には、スポーツウォッチにありがちな頭でっかちな雰囲気がない(それに先立ったオリジナルのブラックベイ 41mmも含んで)。不格好な時計は、直径がどうであれ、私のような程い手首にはほとんど役に立たない。BB58は決して小さいわけではなく、ヴィンテージの基準からしても小振りではないが、バランスはよくてすっきりとしている(っぽい)。

個人的なツールウォッチの選び方に関して、私は現代的なものに偏る傾向がある。忘れちゃいけないのは、私はまだツールウォッチを使い始めたばかりなので、あとに何が起こるか誰にもわからないということだ。BB58は多用途で、耐久性に優れている点が気に入っている。むしろ、あまり大事に扱わないほうがカッコよく見える。ライダースジャケットや(リーバイスの)501のように、使い込んで自分のものにするのがいい。

価格はもうひとつのボーナスだ。この価格帯のモダンな時計は、いま欲しい時計のカテゴリーに入ることはあまりない。でも決して50万4900円(税込)が安いと言っているわけではない。とはいえ、私はYGやジュエリーのようなデザインに引かれるので、当然、欲しいものがすぐ手に入るとは限らない。Googleによると、これは私をシバライト(贅沢にふける人)にしているそうだ。ただ単に私のセンスがいいということだと思うのだが。結果はまだでていない。

ありがたいことに、私は伝統的な時計趣味に縛られていないので、少し違うレンズを通してBB58を見ることができる。機能性ではなく見た目のために実用に富んだ時計を身につけるというアイデアが大好きだ。ピンクゴールドの金メッキは私の好みにはちょっと合わないかもしれないが(この間にBB54が登場したが、これは完璧だ)、マットで日付のない文字盤というこの時計が持つ純粋さはとても気に入っている。それとブレスレットにした方が100%いい。

とても完璧に近いヴィンテージのディテールにより、BB58は、デザイン的には洗練されているがスポーティな雰囲気を醸している。すべてのヴィンテージマニアのために、知る人ぞ知る小さなディテールが取り入れられているのだ。ディテール(例えば12時位置の赤い三角形、ケースのハッシュマークや太い面取りなど)は、製品をより技術的にではなく上品なものにしてくれる。私はこれまでの人生で、合計4回ほどベゼルを回転させたことがある。だから私は、潜水するときのタイミングを計るのではなく、これがどう見えるかに注意を払っている。だって正直言って、この時計を買う人がダイビングのタイミングを計っているとは思えない。

39mmという直径は、私が求めるサイズより少しデカいかもしれないが、もう少し重厚で存在感のある手首を好む女性にはぴったりだろう。

これは極端な事象を好む女性たちのためのものだ。よきスモール/ミディアムライフを。

ルック1: マッチポイント
私はジムの外でテックウェアを着ている女性に強い魅力を感じる。ナイキ Dri-FITのトップス、アローのヨガレギンス、ホカのスニーカーなど、彼女らがマンハッタンのアップタウン通りを練り歩く姿を目にする。間違いなくそれがユニフォームだ。

個人的に、アスレジャー(スポーツウェアを普段着などに取り入れること)を着るのは大嫌いだ。本当に嫌いなんだ。ナイキのGyakusouトラックパンツに、セリーヌ バイ エディ・スリマンのツイードジャケットをミックスする以外、どうか私に近づかないでほしい。でもマーティン・ローズ×ナイキは、ストーリーを見失ったと感じる前に自分でできる範囲だ。

いつものことだが、私はスポーティな時計が好きなので矛盾に満ちている。BB58はスポーティだが、スポーティさとエレガントさを兼ね備えている。カントリークラブのスポーティさとか、芝生のクロケットのスポーティさとか、トライアスロンのようなスポーティさではない。

プレッピースポーツウェアは、それ自体がひとつのカテゴリーだ。そしてポロシャツは、世界中のだれもが認めるプレッピーのエンブレムである。もしあなたが2000年代の子どもだったとしたら、ラコステのポロが引き起こしたノスタルジックな要素は間違いなく計り知れない。

ただし、これは『The O.C.』でマリッサ・クーパー(Marissa Cooper)が着用していたラコステのポロではない。2004年のY2Kパステルとポップカラーのポロシャツによるレイヤードスタイルからはほど遠い。それらはきつくてピチピチな、ティーンエイジャー向けのものだった。これはミュウミュウのFW22にインスパイアされたプレッピーバージョンだ。BB58をつけるように、少しルーズに、少しバギーに、そして少し無造作に着るのだ。

カルティエのヴィンテージ タンク サントレが物語る修復の未来。

1920年から1960年までカルティエが生産した腕時計は1万5000本にも満たない。ちなみに1905年に創業したロレックスが100万本目の時計を製造したのは1960年頃で、同時期のパテックの生産本数は50万本程度と推定されている。

そのため、ヴィンテージのカルティエウォッチは希少である。本当に珍しいのだ。この話を持ち出したのは、今春のオークションシーズンでカルティエのヴィンテージウォッチがあまり出品されない、ちょっとしたオフシーズンだったという話が上がったからだ。そのなかでも特筆すべきロットは、1920年代製のプラチナ タンク サントレである。私はオークションプレビューの際、この実物のサントレを見てもピンと来なかったと書いた。ただ市場は私の考えをまったく気にしていない。この時計はクリスティーズで4万スイスフラン(日本円で約653万8000円)というエスティメートだったにもかかわらず、30万2400スイスフラン(日本円で約4585万円)で落札されたのだ。それ以来、世界有数のディーラーのうちのひとりが、この時計を“オークションシーズン最高のトロフィー”と称していた。

ヴィンテージのプラチナ カルティエ タンク
5月のクリスティーズにて、35万ドル以上で落札されたプラチナのカルティエ タンク サントレ。

この重要な結果は、私の見解がみるからに間違っていたことを示唆していたということだ。それを認めることになんら問題はない。ところで私はこのタンク サントレについて、そして今日の時計収集における希少性と復元の意味について、もう少し掘り下げてみる価値があると考えた。

オークション前に説明したように、このサントレの文字盤は1999年にカルティエによって修復されたものである。オークションカタログのサムネイル画像を見て、最初は現代のカルティエだと思ったほど(の修復)だ。文字盤はバーティカルサテン仕上げを施したシルバーという非常にモダンなデザインで、20年代製のヴィンテージカルティエの文字盤にこのようなものはなかった。この時代の代表的な文字盤はオフホワイトであり、しばしば美しいパーチメント(薄茶色)カラーに経年変化していくようだ(100周年記念のタンク サントレはこれを再現している)。その上、このプラチナ製サントレのケースは、すべてサテン仕上げを施していた。ほとんどのヴィンテージサントレでは、細長いブランカード(担架のように見えるケースシェイプ)がポリッシュ仕上げされているのがわかるが、この仕上げは現代の限定版サントレでも再現されている。こうしてカルティエが修復のために預かったサントレは、1926年製でありながら1999年製の時計のように見えるように仕上がったのである。

100周年記念のタンク サントレ

しかし、1920年から1960年までのカルティエ タンクの生産本数は2000本にも満たない。そしてそのなかで最も望まれているのは、現代のコレクターの好みに合った大きくて薄く、細長い形状のタンク サントレだ。これらはドレスウォッチで水に強いとは言えなかったため、ほとんどの文字盤はひどく損傷しているか、時間の経過とともに失われているものばかり。その希少性に加えて、この特別な個体は元の所有者の家族からの出品であり、1926年(この年にカルティエが製造したタンクはわずか135本だった)に委託者の叔父から譲り受けたものであった。以前にも述べたように、最近のコレクターはどんな属性よりも“市場に出たばかり”かを重要視している。だからこそ、私やほかの人がモダンなデザインの復元をどう思ったかにかかわらず、35万ドルで落札されたのだ。

確かにヴィンテージのロレックスやオメガ、あるいはパテック フィリップを評価する際にはコンディションが最も重要なポイントかもしれないが、それらの時計は何十万という玉数があることを忘れてはならない。一方カルティエは、60年頃までは年に数百本しか腕時計を製造していなかった。つまりカルティエの時計はどれもが希少ということになる。コンディションはそれほど問題ではなく、復元がどれだけ忠実かどうかもそれほど重要ではない。要は希少性なのだ。

“忠実な復元”について意見を述べる
フレッド・アステアのカルティエ タンク サントレ
その席には、俳優のフレッド・アステア(Fred Astaire)が友人のフェリックス・リーチ・ジュニア(Felix Leach Jr.)にプレゼントしたタンク サントレも姿を見せた。過去数十年のある段階で、カルティエはこの時計を入手し、最終的に修復を施した。これは80年代のオークションカタログに文字盤が損傷した状態で初めて掲載されていることからわかる。しかしリーチ・ジュニアのサントレの修復はオリジナルに忠実であり、ホワイトダイヤル、特徴的なインデックス、ポリッシュ仕上げのケースサイドなどすべて保たれていた。

ホワイトゴールドの、非常によく似たタンク サントレが2021年11月のフィリップスオークションに登場し、約29万ドル(日本円で約3182万8000円)で販売された。オークションに出品される前、この時計はカルティエが2年間にわたって復元を行い、オリジナルに忠実な形で再生を遂げた。その時計は、ある日本の著名なカルティエコレクターから譲り受けたもので、彼は当時私に連絡を取ってくれて、修復前の写真を見せてくれた。そこには100年ものあいだ、風雨や水の浸入、その他あらゆるもので摩耗された文字盤が写っていた。これらの2本のヴィンテージタンク サントレは、クリスティーズで販売されていたプラチナの個体よりも、時計本来の美観へと忠実な復元が施されているようだ。

ヴィンテージウォッチを愛する多くの人と同じように、私もコンディションとオリジナリティを大切にするように教えられてきた。ヴィンテージウォッチに魅力があるのはそのためであり、復元をすることでその美しさを奪ってしまう(と思う)のだ。しかし私たちが最近改めて思い知らされたように、修復は現代の時計収集のひとつの常識である。ここで話しているタンク サントレは100歳の誕生日を迎えようとしており、自然なままの状態やオリジナリティを完全に望むことはできない。特にカルティエのヴィンテージウォッチはすでに希少価値が高く、そのような期待を抱くことはディーラーやオークションハウスにとって逆のインセンティブを生む出す可能性がある。

ヴィンテージロレックスの場合、何十万本もの時計が生産されていたなかで(しかも実際には防水性にも優れていた)良好なコンディションを保った、日々出合える何十ものありふれた例から収集可能な個体を区別するものだ。ヴィンテージ カルティエの場合は、これに当てはまらない。

一方で、この例のように最近修復された時計がオークションで数十万ドルに達することを不思議に思う。なかには意図しない結果もあるかもしれない(これはどのようなコンディションのヴィンテージウォッチであっても購入し、 “忠実な修復”のためにメーカーに送り返すことを期待するインセンティブになるのではないだろうか?)。クライアントが新しい時計をカスタマイズする、カルティエのNSO(ニュー・スペシャル・オーダー)プログラムに似ていると感じるかもしれない。ここでいう“カスタマイズ”は、あくまでもオリジナルの時計をベースにしたものである。ロレックスやパテックなど、復元した時計を単に“手つかず”であるかのように見せかけられる、コンディション重視のコレクションで起こりうるものとは異なり、このようなメーカーの復元は容易にわかるというのがこれからコレクターになる人にとって朗報である。

一方で希少なものは希少のままで、20年代のタンク サントレほどレアなものはない。これらの時計があと100年存在し続けるには、そのほとんどに手を加える必要がある。私の意見は文字どおりオリジナルの時計の美しさを復元する、忠実なレストアの価値を認めるべきであり、代わりに現代の美的感覚や流行に合わせた自由な修復を避けるべきだということだけだ。これらの古い時計はヴィンテージを超えてアンティークになっていくにつれ、おそらくこれがオリジナルの魅力を維持する唯一の方法なのだろう。

アトリエ・ド・クロノメトリーのユニークピース、AdC17を紹介しよう。

7年経った今、オーダーメイドウォッチへの需要は、その仕上がりの素晴らしさと同じぐらい強いようだ。
先週、アトリエ・ド・クロノメトリー(Atelier de Chronométrie)がInstagramにユニークピースを投稿したとき、私は心を奪われた。
その最新作、AdC17 ラトラパンテ(AdC17 rattrapante)は、直径39mmに厚さ13.3mmのグレーとローズゴールドの18K製ツートンカラーケースに、ゴージャスなガルバニックローズゴールドのツートンカラーダイヤルを備えた、とにかくゴージャスなモデルである。ダイヤルにはローズゴールドのバーインデックスとブレゲ数字、ローズゴールドとブルースティールの針、そしてローズゴールドのリューズとプッシャーが配されている。針、リューズ、プッシャーのローズゴールドの色調は、ダイヤルのローズよりも明らかにイエローが強く感じられる。これは時として衝突することもあるが、このモデルではうまく機能している。
本当はHands-Onで紹介したいところだが、今回は残念ながらほんのひと握りの写真で我慢してもらいたい。カスタムメイドであり、そして現在3人の従業員で構成されるこのブランドの年産10本のうちの1本であるため、私がAdC17を実際に見ることはおそらくないだろう。しかし提供された4枚の画像からでも、アトリエ・ド・クロノメトリーとこの時計を依頼したクライアントについて多くを知ることができる。ここで1歩引いて見てみよう。
バルセロナを拠点とするビスポーク時計製造チームについて初めて取り上げたのは7年前だが、当時は信じられないというコメントもあった。そのうちのひとりはハイエンド市場が“縮小”しているなかで、高額なオーダーメイドウォッチの需要はどこにあるのかと考えていたようだ。このエピソードは、ここ数年のブームをそのとき誰も予想していなかったことを物語っている。そのあいだにもアトリエ・ド・クロノメトリーはOnly Watchのためのふたつの時計や、今年発表された初の自社製キャリバーなど、魅力的な作品を発表し続けている。
この時計に対する私の最初の感想は、AdC17の、そしてアトリエ・ド・クロノメトリー全体をさらに素晴らしいものにしているのは、ここ数週間で議論を巻き起こし、我らがトニー・トレイナによる素晴らしい記事のきっかけとなったものだ、というものだった。これはオマージュなのか? ほかのブランドによる“芸術性”の引用なのだろうか? 私はそうは思わないが、この時計がヴィンテージ趣味の持ち主によってデザインされたことは明らかだ。コルヌ・ドゥ・ヴァッシュのラグ、ブレゲ数字、ツーレジスターのレイアウトは、多くのブランドからインスピレーションを得たものだろうが、決して特定のブランドが独占しているわけではない。
コルヌ・ドゥ・ヴァッシュのラグはヴァシュロン・コンスタンタンの時計に使用されていることで知られているが、JLCも同じケースサプライヤーを使用し、コルヌ・ドゥ・ヴァッシュのラグを採用していることが多い。ブレゲ数字も、パテック(と当然ブレゲ)がクロノグラフの代名詞としているとしても、多くのブランドで使用されている。初期のパテック Ref.130を彷彿とさせるダイヤルには長めのバーインデックスと、ブロック体のローマ数字の代わりにブレゲ数字が12時と6時に配されている。ツートンカラーのケースもRef.130のバリエーションにインスパイアされたものだろう。
アトリエ・ド・クロノメトリーに連絡を取り、デザインプロセスについて詳しく聞いた。すべての時計は、それぞれの顧客にとって唯一無二のものであり、決して同じものは作られない。顧客は多くの場合、アイデアを持ち込んできて(なかには何も考えずアドバイスを受け入れる人もいる)、それを元に図面、2次元イメージ、3次元イメージが作られる。この場合、顧客は航空分野が非常に好きだったため、ノット単位で表示されるタキメータースケールなど独自のアイデアを提案した。デザインが固まったらキャリバーとケースの製作に入る。今は注文が多いので、納期は約3年となっている。
AdC17 Chronograph
ムーブメントはヴィンテージのヴィーナス179をベースに、パラジウムメッキのブリッジ、ピンクゴールドメッキのホイール、SSの装飾に、ブラックのポリッシュ仕上げが施されている。センターのラトラパンテホイールはチタン製だ。
ブランドは私にこの作品の価格を教えてくれなかったが、コレクターに話を聞いた結果、おそらく6桁ドル前後であろうことは間違いない。その価値があるかどうかは、それを見る人の目にかかっている。目新しい自社製ムーブメントがあれば、もっと強い主張ができると思う。しかしデザインについては、私がオーナーになれたらと思うほど美しく仕上がっている。
ジャズの世界では、自分のバリエーションを演奏する前に、そのベースとなる曲の基本を知っておかなければならないと考えられている。ジャズのスタンダードナンバーを自分なりにアレンジしようとする前に、人々は『リアルブック(原題:Real Book)』に載っている曲のあらゆるソロやバリエーションを研究する。ポップスからロックまで、あらゆるところで内輪ネタのように登場する短いフレーズ、“リック”というものもある。偉大なミュージシャンたちでさえ、互いの演奏のソロのバリエーションを披露し合う。
私はAdC17をそのように見ている。誰かが偉大な作品の優れた部分を取り入れ、それを自分のものにしたのだ。そして、実際に見ることができないのが残念でならない。
アトリエ・ド・クロノメトリー AdC17。機械式手巻き時計、スプリットセコンドクロノグラフ。直径39mm 、厚さ13.3mm、グレーおよびローズゴールドの18K製ケース。“ヴィーナス179”をベースにした手巻きムーブメント、パラジウムメッキのブリッジ、ピンクゴールドメッキのホイール、SS製の装飾、ブラックポリッシュ仕上げのパーツ。9時位置にランニングセコンド、3時位置に30分積算計。ガルバニック仕上げのローズゴールド製ツートンダイヤルにノット表記のタキメータースケール。18Kローズゴールド製の針4本とブルースティール製の針2本。カスタムオーダーも受け付けている。